- 無知な人間<教会便り 2005年4月号より> -
 最近話題になっていることがあります。世界的に著名な無神論の高齢哲学者アントニー・フルー(Antony Flew)が、無神論(atheism=神は存在しない)の立場を捨て、理神論(deism=神は存在すると考える)を受け入れる立場を取った記事が月刊クリスティアニティー・ツデー4月号に載っています。彼がダーウィン流の自然主義(=神はいない)を放棄して、神の存在を認める立場に変わったことは、学会で大きな話題となっているそうです。彼のような世界一流の哲学者に「無知」のレッテルを貼ることはできないかも知れませんが、博学な知恵者にさえも「知らない」ことは多く残っていることがわかります。

 人間には、生涯「無知」がつきまといます。無知は人間の中にあるものなのでそれから離れることができません。聖書には無知が人間をどこに導くかが記されていますので、その幾つかを取上げますと、無知のゆえ、迷い(ヘブル5:2)また争い(2テモテ2:23)、その暗く空しい心は感謝せず(ローマ1:21)、偶像を造り拝み(エレミヤ10:14、使徒17:20)、神のいのちから遠く離れ(エペソ4:18)、聖書を曲解し(2ペテロ3:16)、ついにはキリストを十字架に架ける(使徒3:17)に迄も至ります。真の神を知らずまた信じないことは実に恐ろしいことです。(上記の箇所の共通語は「無知」です。)

 使徒パウロは、無知のゆえクリスチャンを殺害しました。しかし神は彼を赦されました。「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」(1テモテ1:13)パウロの場合、恐らく自分の無知に気付いていなかったことでしょう。気付かないことは人間の悲劇ですが、どうやらアントニー・フルーは、自分の無知に気付かれたようです。嬉しいことです。

 自分が主の前にどんな状態であるかを知らなかったラオデキヤの教会にイエス様は勧めておられます。「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(黙示3:19)主はあらゆる手段を用いて、生涯つきまとう無知から私たちを目覚めさせ、悔い改めに導こうとしておられます。素直な心になって主に導かれましょう。頑固な心は馬や騾馬に描写されています(詩篇32:9)。
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