クルーズコントロール(自動運転装置)は現在人々の関心をあまり引かないようですが、数年前まではずいぶん流行しました。狭い日本とはちがい、広大なアメリカ大陸を運転するとき、クルーズコントロールを用いると、予め設定した速度でアクセルから足を離したままで、何時間も走ることができます。長距離を運転するには便利な装置です。
90年代はアメリカ経済の好調が続いたため、投資をすれば自動的に資産が増えました。クリスチャンの心もそのように動き、クルーズコントロールのように日々の生活が自動的に制御されて、定められた形式を守っていれば安心したようです。朝ベッドから起き上がり、神様に「おはようございます」と挨拶し、5分間のデボーションを終えると、その後は夜の就寝の時まで自動運転装置が作動します。アメリカの生活環境が、クリスチャンの霊的生活に影響を与えたことが見えます。
しかし、人生がクルーズコントロールでないことは確かです。
第一に、日常生活には思いがけないことが起こります。先日サンタモニカで86歳になる男性の思わぬ車の惨事が尊い10名もの人命を奪いました。誰が朝市にあのような危険が潜んでいたことを予測できたでしょうか。聖書は注意を促しています。「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」(箴言27:1)
第二に、生涯日々の必要は常に変わります。イエス様は、自分の必要や他の必要の満たしを謙遜な態度で神に求める人はさいわいである、と言われました。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)寂しさの中にいる人、悲しみの中にいる人、苦しみの中にいる人、痛みの中にいる人、生きる意欲を失いかけている人、それぞれの必要は日々変わります。クルーズコントロールでは変わりゆく必要に対応できません。
第三に、眠気を誘うクルーズコントロールは危険です。霊的に眠った状態に陥った愚かな金持ち(ルカ12章)は、自分が霊的昏睡状態にあることさえ気が付きませんでした。これは恐ろしいことです。霊的に眠る者に対する神の警告があります。「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」(1コリント10:12)。「ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。」(1テサロニケ5:6)。
神の光が照らされて、目が覚めます。朝鮮動乱によって建物を失った教会の敷地に一つのドラム缶が持ち込まれ、寒さを凌ぐためその中で木屑を焚きました。すると、建物が立っていたとき「祈り会」に出席していた人数の数倍の人々が、夜そのドラム缶の周りに集まった、と聞いています。2000年9月11日にニューヨークでテロ事件が起こった直後、夜昼となく多くの人々が、普段教会に疎遠な人たちまでも、祈るために教会に集まりました。
いったい何が起これば人々は祈るために教会に集まるようになるのでしょうか(マタイ21:13)。私たちの心に設置されているクルーズコントロールを再点検する必要があるのかも知れません。