- 何のために生きるか<教会便り 2004年12月号より> -
 歳の瀬に一年を振り返ってみる時、役立つ記事ではないかと思いつつ、以前ハドン・ロビンソン教授が書かれた短い奨励のことば(翻訳)を紹介致します。教授は、私がかつて神学生のときに教鞭を取られたお方です。


 「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(テモテへの手紙第二 4章7,8節)

 多くの人は、人生の晩年を迎え、人生が空虚で無意味であったことに突然気付きます。振り返ってみると、成功した商談とか楽しかった娯楽の記憶は幾らか残っているかも知れませんが、満たされた友人関係や永続する業績等に関して言うならば、からっぽの人生であった。確かに「成功の梯子(はしご)」を上まで昇りつめましたが、気が付いてみると、なんとその梯子は間違った壁に寄り掛かっていたのです。

 使徒パウロは奉仕の生涯を振り返って見て、神への奉仕は容易ではないが価値のあることだとわかりました。「成功」と言う世の尺度で測るならば、彼の生涯は殆ど取るに足りないもののように見えたかも知れません。

 パウロは、やつれながら迫る死刑を迎え、寒い湿った獄でテモテへの第二の手紙を書きました。間もなくするとパウロは、ローマの皇帝ネロ(半狂人)の前に立ち、そのいのちは終わるのです。しかし彼は死後王の王(神)からいのちの栄冠をいただくことを知っていました。そして私たちは、彼の人生が人類の歴史自体を変えたことを知っています。

 古代の歴史家は、皇帝ネロの輝かしさについて多数の書物を書いたとしても、パウロについては一句の言及もしなかったでしょう。ところが今日、私たちは犬にネロと名付け息子をパウロと命名します。私たちが何のために生きるかは、やはり大切な問いではないかと思います。ところで、あなたは何のために生きておられますか。
- 最近掲載したメッセージ -

※項目名をクリックしていただくと、そのメッセージに関するページに移動します。

次回掲載分 神に喜ばれる奉仕 教会便り 2005年1月号
前回掲載分 義人の信仰 教会便り 2004年10月号

※このページ下「牧師メッセージ集目次へ」をクリックしていただくと、目次ページに移動します。

トップページへ戻る 教会のご紹介 牧師メッセージ集目次へ 初めて教会へこられる方へ