もうすぐクリスマスですが、世界では現在も戦争が続いています。また、アメリカの社会では家庭内暴力が止まず、多くの女性や子どもがシェルターの施設で保護されながらクリスマスを迎えます。
キリストがお生まれになった時代も争いは絶えませんでした。大多数の民衆はキリストのご降誕に対して無関心であった折、ヘロデ大王は残虐にもベツレヘムの町とその周辺にいた二歳以下の男の子全員を殺害しました。ところが東方からの博士たちは、贈物を持ってキリストをあがめました。このようなキリストに対する反応(無関心、残虐、崇拝)は、現代人にも見られることです。当時の人がそうであったように、現代人も平和を知らない世代です。
最初のクリスマスは、貧しい羊飼いたちによって祝われました(ルカによる福音書2章8節から20節)。その時、天からの歌があり、彼らは盛大なクリスマスの音楽を聞かせてもらいました。その歌詞はルカ2章14節に記されています。その歌詞の後半は、神が人間に対して平和な生活を願っておられる、と言う内容です。神は、争ったり戦ったりして欲しくないのです。
残念ながら、人間には平和をつくり出す力はありません。かつて戦争のなかった時代がなかったと言う事実は、歴史の示すところです。平和は神が私たちに下さるものです。「平和の君」(イザヤ9:6)であるキリストが一人一人の心の中に入って下さり、心を平安で満たされます。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)
キリストの下さる平安は、不思議にも、困難、苦痛、暗闇の中にあっても経験できるものです。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)
結局キリストを抜きにして世界の平和も心の平安もありません。ですから、クリスマスにキリストを追放してしまっては、平和を実現することは無理であることがわかります。人々が欲に煽られ商業主義中心のクリスマスにこだわる限り、平安はありません。
どうすれば平安に満ちたクリスマスを実現することができるでしょうか。東方の博士たちから学びましょう。まず、クリスマスの焦点をキリストご自身に合わせることです。他は全て二次的なものです。また、へりくだってキリストを崇拝することです。物欲は偶像礼拝です。そして、義の器として自分をキリストにささげることです。必要とする人に愛の時間を与え、また喜びの献金をすることができます。キリストは次のように教えておられます。「受けるよりも与えるほうが幸いである。」このことばは、肉の欲からキリストの犠牲の愛へとクリスマスの焦点を向けてくれます。与える心はキリストの平安でみなぎっているはずです。