- 霊的成長の促進:救い(救済論) - <教会便り 2009年12月号より> -
 第一の人アダムが人類を罪の中に引き込む前に、神は信じる者を救いにあずからせる計画を持っておられました。神は、永遠の権威によって私たちを選ばれたのです。「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」(エペソ1:4)ですから、神が私たちを救いにあずからせてくださろうとなさったのは、第一の人アダムが罪を犯すよりずっと前に選んでおられたのです。神の愛のうちに選ばれた者が(信じて)救われるのです(エペソ1:5)。

 神がすべての人(全人類)に対してキリストを信じるよう懇願しておられることから(2コリント5:20〜6:2)、キリストの死には測り知れない力があることがわかります。しかし、実際には信じる者に対してだけキリストの死の力は適応されます(ヨハネ3:16)。

 次にキリストが十字架に於いて成し遂げられた四つのこと@身代わりの死、A救いの代価、B罪人の和解、C満たされた神の義について語りたいと思います。

 第一に十字架の御業が私たちの罪に代わる処罰であったことが、明確に説明してある箇所は第二コリント5章21節です。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」キリストが私たちの代わりに罪とされるのは、私たちが「信じます」と告白するときです。そのとき、神の全能の力によって信じる者の罪が十字架上のキリストに置かれるのです。

 第二に罪の奴隷となっている人間は奴隷市場で業者によって売買されています。その業者とは、偶像礼拝、競争心、親に対する不敬、姦淫、殺人、盗み、偽証、貪り(出エジプト20章、ヨハネ8:34)等です。奴隷が鎖から解かれるには、代価が払われなくてはなりません(マタイ20:28)。キリストを信じる者は罪の束縛から解放されて自由になります(ヨハネ8:32)。

 第三に罪のために神に敵対している人間はキリストを信じると、神との隔たりが取り除かれ神と和解されます。「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:10)そして身近な親しい親子の関係に入ります(ヨハネ1:12)。

 第四に罪人を正しい(義である)と認めるなら神は不義の神となります。義は正当な罪の処罰を期待するからです。しかし、罪人を処罰してしまうと、神は愛の神ではなくなります。このジレンマを十字架の死が解決します。神の御子キリストが罪人の代わりに処罰されたため神の義が満たさるので、信じる罪人が義認されても、神は不義の神ではなく、義の神であられます(ローマ3:26)。

 神に愛された救われる者の幸いはことばで言い尽くすことができないものです。  
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