- 愛し合う理由<教会便り 2005年2月号より> -
 アガペの愛とは何でしょうか。それはその対象の最善を追求する行いである、と言う簡潔な定義を私が神学生の時おそわったことを思い出します。では、愛の起源は何処なのでしょうか。アガペの愛の起源は神です。聖書にこう記してあります。「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています」(1ヨハネ4:7)。使徒ヨハネは私たちが互いに愛し合うことを勧めています。また、主イエスはそれをはっきりと命令しておられます(ヨハネ13:34〜35)。「愛し合いなさい」と主が戒めを下さった理由は、何だったのでしょうか。少なくとも、三つの理由を考えることができます。

 第一に、愛は必要を満たすと言う理由があります。必要と「ぜいたく」を混同してはなりません。必要には限度がありますが、ぜいたくには限度がありません。神は私たちの必要を満たして下さいますが、世は私たちにぜいたくをさせようと働きかけます(1ヨハネ2:15〜17)。どこかに必要があり、それが見え、その必要を満たそうとするなら、それは愛の行いです。愛は行いですから決断を要します。感情・気分・態度だけではアガペの愛は表現できません(1ヨハネ3:17〜18)。私たちの霊的必要を見て、主イエス・キリストは私たちのために実際に死んでくださいました。そして、私たちの必要を満たして下さいました(ローマ5:7〜8)。

 第二に、愛は多くの罪を覆うと言う理由があります。使徒ペテロの罪をイエス様は、何度も何度も愛で覆ってカバーして下さいました。ですからペテロ自身は、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」(1ペテロ4:8)と言っています。イエス様の愛は、私たちのどんな罪をも覆って下さいます。私たちが覆うことのできる罪にはどんなものがあるでしょうか。使徒パウロが書いた「愛の賛歌」に具体的に示してあります。下線の部分がそのような罪です。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます」(1コリント13:4〜6)。

 第三に、愛は教会を育成させると言う理由があります。教会の成長は愛に正比例します。すなわち、愛のある教会は成長し、愛のない教会は成長しません。量的にも質的にもそうです。使徒パウロはこう言っています。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆるあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」(エペソ4:16)。縫いぐるみの人形を肌身離さず持ち運び遊ぶ四歳の女の子が、お母さんに言いました。「お母さん、私が愛しても愛しても、この人形は私を愛してくれないのよ。」人形は成長しませんし、愛を返すこともしません。一方通行だけの愛です。受ける愛だけを願っていては成長しません。互いに愛し合うべきです。

 ─大谷牧師、1月23日礼拝説教から─
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