主イエスを信じると罪人は、義人に変わります(ローマ5:19)。この義人が、元来あるべき人間の姿です。それはキリストにあって復元された人間の姿です(2コリント5:17)。人間性が復元されるのは不思議な神のみ業であって、それを肉眼でみることはできません(ヨハネ3:8)。
最近のことですが、この見えない神の御働きが主イエスの奇跡のみ業によって描写されていることに気付きました。それは悪霊から解放された人の記事です(ルカ8:26〜39)。人間性の復元のみ業は三段階で起こりました:すなわち、@堕落、A転嫁、B派遣です。
悪霊に付かれた人は全く惨めな状態でした。墓場に住み着物をまとわず社会から孤立し自分を傷つけていた状態は、罪人が救われる前の霊的に@堕落した状態を描写しています。悪霊に憑かれた人は、霊的に死んでいた私たちの状態をよく現しています(エペソ2:1〜3)。
また、主イエスが悪霊に命じられると悪霊はその人から豚の群れに移り滅ぼされたことは、罪人が当然受けるべき罪の刑罰が十字架のキリストの上にA置かれたことを描写しています(1ペテロ3:18)。刑罰が私たちからキリストに移されたことを現しています。
そして、悪霊から解放された人を直ちに自分の親族友人の処にB送り、彼が受けた神の恵みを証しするよう指示なさったのは、救われた私たちが宣教命令(マタイ28:19〜20)を受けている主イエスの使節である事を現しています(2コリント5:20)。
では元来あるべき人間の姿に戻された私たちは何をすることを心掛けるべきでしょうか。それは、良いわざです。「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10)。
人類は「今の人間はおかしい。元来あるべき姿ではない」と感じています。たとえば、世界中全ての人々は戦争を否定しているにも拘らず戦争を続けます。戦争を止めることができないこの憐れな姿が人間の元来あるべき姿であると肯定する民族はありません。聖書はこの人間の憐れな状態を、「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」(ローマ8:22)と描写しています。人間(だけでなく他の被造物も)がうめいている姿は、まるで元来あるべき姿に戻りたいと叫んでいるかのようです。すなわち、神が初めに創造された人間になりたいと人間は感じているのです。それはエデンの園で生活をしていたアダムとエバの姿です。
エデンのアダムは現存していないので元来あるべき人間の姿はもう見ることができないのでしょうか。そうではありません。復元された人間の姿はキリスト者に見えるはずです。悪霊から解放された人が自分の村の人々に証しをし、人々の主イエスに対する態度が良いものに変化していったように(マルコ7:37)、私たちにも、天国に召される前、主イエスに在る人間性を持っている者としてこの地上でなすべき良いわざが多くあるのです。