- いのちの目的第一は、礼拝<教会便り 2003年3月号より> -

 前回、人生の目的は自分の外にあることを話しました。あなたのいのちの目的はあなたの外にあり、あなたが自分の内をいくら探しても、いのちの目的は見つかりません。

 「偶然」を前提とする進化論を信じる人は、いくら自分の内を探してもいのちの目的は見つかりません。偶然の中にもその産物の中にも、目的が見つかる筈がありません。目的がないものを偶然と呼ぶからです。また、人間の手で造ったものを拝む人も自分の内にいのちの目的を探すことになります。手で造られたものは思考の産物ですから、人間の延長線上にある存在です。それを拝むことは「人間存在」と「思考の産物」の間を往復する悪循環に入ることであって、やはり自分の外に出てはいません。

 いのちの目的を知っているのは、それを造ったお方である創造主なる神です。神はいのちの目的を聖書に記しておられます。私たちが、悟り、自己向上法、哲学、心理学、占い、ニューエイジ等に求めるのではなく、神が人間に与えて下さった聖書に求めるならば、いのちの目的は見出すことができます。

 神が私たちのいのちを造られた目的は、神ご自身の喜びであると聖書に記してあります(黙示録4章11節)。すなわち神が人間をお造りになる時、造る目的をご自分の喜びとされました。ご自身の喜びのために造られたのですから、たとえ造られた者には気に入らないと思われても、神は喜びを感じておられるわけです。

 いのちの目的は神の喜びですから、神に喜んでいただけることをすれば、いのちの目的を達成する人生を過ごすことになります。では、神が喜んで下さることとは、何でしょうか。それは、キリストの「いのちの戒め」を実践することです。実践することによって私たちは神が喜んで下さることを確信し、いのちの満たしを感じます。いのちの戒めには五つあります。

 第一の戒めは、「礼拝」です。では、礼拝とは何でしょうか。それは、神の愛に対する人間の愛のこたえです。礼拝(愛のこたえ)には三つのこたえがあると思います。

 その一つに、自分の注目を主に向けることがあります。注目を主に向けることに対して障害となるのものがあります。「像」や「絵」は、肉眼から入り易いイメージですが、神はことばですから、像や絵のような存在ではありません。主に注目するには、霊とまことが必要です(ヨハネ4:23)。霊とは真心です。まこととは神についての正確な知識です。

 二つ目に、自分の愛を主に表現することがあります。神様を賛美し神様に感謝する心がある時は、「神様、あなたを愛しています」と言えば、神は喜んでくださいます。

 三つ目に、自分の力を主のために用いることがあります。イエス様のために力を用いるとは、力を用いようとしている対象の延長線上にイエス様がおられることです(コロサイ3:23)。

 神の愛を経験し嬉しく神に何か「お返し」をしたいと考えそれを実践するならば、神は喜んでくださりいのちの目的は満たされます。礼拝は受けた愛に対する自発的なお返しですから。
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