- イースターのチャレンジ<教会便り 2005年3月号より> -
 「それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。」(1コリント15:15)

 イースターは度々四月に迎えますが、今年は三月二十七日に迎えます。クリスマスを祝ったばかりのような気もしますが、イースターについて新しいチャレンジを受けたので、そのチャレンジを書いてみます。2000年前に使徒パウロが受けたチャレンジと現在私たちが受けるチャレンジです。

 まずパウロが受けたチャレンジですが、コリントの教会にキリストの復活を否定するクリスチャンがいると言う報告が耳に入り、彼はこのことを重大なこととして扱っています。復活を否定することが、どういうこと(理論的に追求した結果)になるかを説明しています。もしキリストが死からよみがえられなかったなら、パウロの主張するキリストのよみがえりは偽りの証言の罪となります。それだけではなく、クリスチャンの罪が赦されることがなく(17節)、クリスチャンほど哀れな存在は他にない(19節)、という結論にもなります。キリストの復活を否定するチャレンジに対し、パウロはキリストの復活の事実を述べることによって応えています。

 もう一歩進んで考えると、私たちに対するチャレンジがあります。私たちクリスチャンは、「キリストの手紙」(Uコリント3:3)であると書かれています。キリストの復活を信じ伝える私たちは、何らかの形でそれについて周りの人に読まれている「手紙」だと言うのです。いったい人々は、私たちから何を読み取っているのでしょうか。偶像に頭を下げているクリスチャンを見て、周りの人々はキリストの復活を信じる信仰を読み取るでしょうか。キリストを恥ずかしく思う態度から、キリストの復活を信じる信仰がその人にあることを、周りの人々は恐らく読み取れないでしょう。それはちょうど昔日本でクリスチャンが通った経験に似ているのではないかと思われます。奉行所の役人は、「踏み絵」を踏んだ信者からキリストの復活の信仰を読み取ることはできませんでした。これは大きなチャレンジです。信じることと裏腹のものが言動に出るとしたら、キリストは喜ばれません。イースターがキリストの復活を意味すると信じるなら、エッグハントやチョコレートだけで済ませるわけには行きません。キリストのよみがえりを信じる信仰にふさわしいイースターを祝おうではありませんか。そうすれば周りの人々きっと祝福されるでしょう。
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