- 受難週の意味 <教会便り 2007年3月号より> -
 来月は復活祭(イースター)について書きたいと思いますので、今月はキリストの復活が起きる前の週(受難週)について書くことにします。復活祭も受難週もキリストを主体としたことばです。すなわち、復活祭はキリストが死から復活されたことの祝祭であり、受難週はキリストが経験された死の苦しみを象徴する一週間です。しかし、その週にはキリストを主体としない出来事も記述されています。その一つは受難週の初日(日曜日)にマリヤが高価なナルドの香油をイエス様に注いだことと、もう一つは翌日(月曜日)エルサレムの住民がしゅろの木の枝を地面に敷いて、ろばに乗って入城されるイエス様を歓迎したことです。

 もし受難週を復活祭の準備期間と言う解釈が許されるならば、上記のマリヤやエルサレムの住民がしたことは復活を迎えるための準備であったと見ることができます。今年の復活祭は4月8日です。復活祭を迎える私たちは、今月どんな心の準備をすればよいのでしょうか。香油の注ぎと入城の歓迎から学ぶことができます。

 まず、香油の注ぎは神への献身を現しています(ヨハネ12:1〜8)。マリヤよりもユダの方が香油の金銭的価値を認知していたようです。しかしイエス様が私たちに求めておられるのは心です。財布ではありません。香油の注ぎにはキリストを埋葬する準備の目的がありました(7節)。それは打算的なユダにはわからない目的でした。しかし神に献身していたマリヤにはわかっていたので香油を惜しむ心は全くありませんでした。私たちも主の前に(再び)心から悔改めて、神に身を献げて今年の復活祭を迎える準備をしましょう。心を主に献げるならば、金銭的なものを主にお委ねすることに平安を覚えます。

 また、エルサレム入場を歓迎したことは神への賛美を現しています(ヨハネ12:12〜19)。人々はイエス様を地上の王として迎えました(13節)。ヨハネは、主イエスをそのように受け入れるのは正しい態度であることを証言しています。彼の証言はゼカリヤの預言書(15節)とイエス様がラザロを復活させられたこと(17節)を根拠としています。人々はキリストを王として受け入れ賛美しました。このようにして、人々はキリストの復活の備えをしたのです。ここで大事な点は、キリストを王として迎える態度です。なぜなら口先だけの賛美もあり得るからです(マタイ15:7〜8)。私たちも復活祭を迎える準備をするに当たって、まずキリストを自分の生活を支配なさる王として心にお迎えし、それからキリストを讃える歌をささげます。この順序は大切です。

 いよいよ来月は復活祭(イースター)です。今月は神への献身と賛美を心の中で反芻(はんすう)しながら、復活祭の準備をしましょう。
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