- 溢れる感謝<教会便り 2001年11月号より> -
「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:7)

 レストランで注文したものが思ったよりおいしくない。待ち合わせの時間が破られた。病気で伏せった。事故で怪我をした。愛する者が亡くなった。裏切られた。善が仇で返ってきた。このような中で感謝できるでしょうか。祝福を数え始めると次々と出てくるものなのでしょうか。

 今月の感謝祭は、九月十一日の惨事後初めての感謝祭です。このような状況の中で何を感謝することができるでしょうか。信仰によって変えられたヨブのことばを思い出します。

 私は裸で母の胎から出て来た。

 また、裸で私はかしこに帰ろう。

 主は与え、主は取られる。

 主の御名はほむべきかな。

 未だかつて感謝をして後悔(失敗)した人の話を聞いたことがありません。逆に感謝する機会を失った話をよく聞きます。してみると人間の問題は、感謝不足であるように思えます。聖書は、感謝する姿勢が元来人間のあるべき姿であると教えます。神を離れた人間は、神に感謝をしなくなったのです。「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。」(ローマ1:21)

 自分にとって祝福と思われることについては感謝できますが、そうでないことについては感謝し難いところがあります。また、今は感謝しなくても、後になってそれが祝福であるとわかったとき感謝できます。同じことでも見る目が変わるからです。例えば、去年お母さんが焼いてくれた感謝祭のターキー(七面鳥)をブツブツ言いながら食べた息子でも、今年の感謝祭に自分の新妻が初めて焼いてくれるターキーならたとえ焦げていても、感謝して食べます。彼は変えられたのです。

 今月は感謝祭の月です。溢れるばかりの感謝を心から神様にささげましょう。神様は喜んでくださいます。主の喜びがきっとあなたに伝わることでしょう。
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