現在教会には、屋外屋内を問わず、いたるところに「40日間のコミュニティー」と書かれたバナー(横断幕)や張り紙、また、色別のテープが張ってあるのを見ます。全教会を挙げて、教会の方向性を変えようとするスローガンです。新しい建物を建て、新しい方向性を持つ人々が入ろうとしています。イエス様が言われたことばが、私たちの教会に当てはまるでしょうか。「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」(マルコ2:22)。
「40日間のコミュニティー」は、わかり難いことばであるかも知れませんが、これは「スモールグループの形成と活動」をしようと言う意味です。英語部では、スモールグループの必要性を切実に感じ、この方向を選びました。日語部も教会を構成する一部分として、スモールグループを発足する必要を感じています。今月は、日語部にも既存のものに加えて、更に新しいスモールグループが必要であることを皆さんに訴えたいと思います。
第一に、教会は神が選び出された人々の集まりであり、それに属する人は相互のつながりを持ちます。それは、人間の肢体にたとえられています。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」(エペソ4:16)。教会は、唯の集まりではありません。イエス様の説教を聞いた何千人もの人々、使徒パウロの説教をアテネのアレオパゴスで聞いた多くの人々、今日の教会の建物の中でも日曜日の礼拝説教をただ聞くだけであれば、ただの集まりであるかもしれません。アメリカにはそのような教会が無数にあります。
ちょうど人間の肢体が他の部分と関わりを持っているように、スモールグループでは他の人々と関わりを持ちます。私の理想は、教会に来られる皆さんが、何かのスモールグループに所属し、他の人々と主に在る関わりをお持ちになり始めることです。
第二に、スモールグループは地域の人々の必要を覚え、それを満たそうとします。教会が地域の人々の必要に対して無頓着であるならば、地域にとっての教会の存在意識は薄れてしまいます。そして地域から孤立するでしょう。孤立した教会に人々は興味を持たず、素通りするでしょう。唯の集まりは地域から孤立し易いですが、スモールグループを持ち主とのつながりの中で生きようとする教会は地域の必要を満たそうとするので、地域に浸透し、その存在意識が薄れません。
第三に、教会のスモールグループは、教会と地域の人々を結ぶ懸け橋になることができます。そして、その橋を渡られるのは、キリストです。橋は、空間を結ぶ道です。キリストは、教会から地域の人々に渡りたいと切に望んでおられます。ところが、空間が、渡ることを妨げています。ここにスモールグループの必要性があるのです。キリストは、橋(スモールグループ)を渡って渡って地域の人々に届かれます。その結果スモールグループは、神が人々を祝福なさる手段となります。
新しい方向性を持つ日語部は、スモールグループの形成と活動を目指しています。このビジョンを持って、新しい建物に入ろうではありませんか。