- 主の聖日<教会便り 2003年9月号より> -
 クリスチャンは日曜日をどのように過ごすべきなのでしょうか。これに対して、「日曜日は教会に行く日です」と答える方が殆どではないかと察します。夏のベケーション・シーズンも終わり、教会行事が活発になる九月にちなんで、今回はこの課題を考えてみたいと思います。

 「もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日をはえある日と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。」(イザヤ58:13)。

 このことばは、2700年前預言者イザヤを通して語られた神のことばです。安息日には普段の仕事はしないで休んでいるようにと、神はユダヤ人に厳しくご指導なさいましたが、当時のユダヤ人は、安息日(土曜日)を守ることを軽く考えていたようです。イザヤの時代をさらに700年さかのぼってみますと、モーセの十戒に「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」と命じられています。違反すると罰則も伴いました。

 主イエス・キリストが死から復活された日は週の第一日目(日曜日)です。初代教会のクリスチャン達は日曜日を聖なる日と定め(使徒20:7)、それを聖別しました。すなわち、日曜日は主のために取っておく日としたのです。そして聖日を守ることは今日も実行されています。しかし日曜日は主のために取っているつもりではいても、時々やむを得ず欠席しなければならない場合があります。主イエス・キリストご自身が動機を測られるので、それについて人はとやかく言えません。もしとがめや疑いを感じるならば、それは不信仰が原因していると言えます(ローマ14:22、23参照)。悔い改めて前進すべきです。

 しかし或る人々は、「条件が揃えば行くつもりです」と考えています。例えば、忙しいので暇になれば行く、その気になれば行く、よいお話しが聞けるとき行く、楽しければ行く、ある人がいる(いない)ので行く、ご無沙汰しているので行く、クリスマスとイースターには行く、等の例が挙げられます。条件が揃わなければ行かないのは、日曜日を主の日として取っておく決心が、まだなされていないからです。

 この決心がついていない人は、大きな祝福を見逃しています。上記のイザヤ書にある通り、聖日を守る決心をする人には主ご自身が彼の喜びとなって下さるのです。それは不思議な神からの喜びです。その喜びは単なる自己満足ではありません。周りの人と分ち合うことのできる喜びですから、その決心は周りの人々にも祝福となるはずです。

 決心がついていない方は、決心をなさるようお勧めします。決心をすれば、必ず主の助けが与えられます。決心を渋れば、あなたは自分の「条件」が揃うときまで待つことになり、その間、不思議な神からの喜びを見逃すことになります。それは、大きな損失ではないでしょうか。

 主よ。この新しいシーズンに決断をする勇気を与えて下さい。
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