- クリスチャンの孤独感 <教会便り 2006年9月号より> -
 「私はやせ衰えて、屋根の上のひとりぼっちの鳥のようになりました。」(詩篇102:7)


 神はクリスチャンに魔法の杖を授けられるのでしょうか。あるクリスチャンはそのような夢を見ています。彼が神を信じているため人々は彼を尊敬し、彼は多くの良い成果を上げる仕事をします。そして人との関わりが上手であるため、すべての人とうまくゆきます。果たしてその夢は実現されるのでしょうか。

 そのような夢とは反対にクリスチャンの現実には孤独感がつきまといます。ダビデは上記の詩のようにその気持ちを表現しています。クリスチャンの意見は神の真理に基づくものであるから聞いて欲しい取り入れて欲しいと思っても、実際には無視されたり拒まれたりします。クリスチャンの意見は、重要視されず社会の周辺的な地位に追いやられます。そのため自分はひとりぼっちである、と言う孤独感を覚えます。

 キリストもペテロの返すことばに孤独感を覚えられたに違いありません。彼の舟を使わせてもらったお礼に魚の大漁を与えようとされました。しかしペテロは、主イエスが漁の専門家でないことを理由に、「網をおろしなさい」(ルカ5:4)と言う命令を信じませんでした。ペテロの頭の中で主イエスは周辺的な地位に追いやられていたのです。

 使徒パウロが水夫でもなく航海士でもないため、百人隊長ユリアスはパウロの警告を無視して、危ない決断に踏み切ります(使徒27章)。そして台風によって難船します。ユリアスはリーダーとして、全乗員のいのちが危険な状態になって初めて自分の決断の重み(孤独感)を痛感したことでしょう。そして14日間も生死の境を漂った全乗員もこの惨事によって心が傷つきました。実はこの人々より先に傷ついたのは、警告を無視されたパウロ自身です。先に傷ついた彼が、ユリアスを含めて、傷ついた人々の心を癒しに導くことができたのです。

 主イエスは言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」(マルコ2:17)。「自分は強い大丈夫だ」と思っている人に、上記のようなクリスチャンの夢をいくらぶっつけても反応はないでしょう。神の前に自分も傷ついた病人であると信じているクリスチャンは、周りにいる同じように傷ついている人々に「癒し主」なるキリストを紹介することができます。クリスチャンに魔法の杖は要りません。クリスチャンの周りには、自分が病気であることに気付いている人と気付いていない人とがいます。クリスチャンの責任は、気付いている人に対してであると思います。

 その責任がわかれば、何故クリスチャンには孤独感があるのかがわかります。その理由は、人の癒しのためです。使徒パウロのことばが響きます。「はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。」(コリント4:12〜13)
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