- 最も大いなるもの <教会便り 2007年9月号より> -
 いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」(口語訳、1コリント13:13)

 第一コリント人への手紙13章を主題とするシリーズ「愛の賛歌」を五月下旬から八月末までかけて礼拝での連続説教を致しました。説教を準備する段階に於いて今まで気付かなかった多くの点が教えられ、心から主に感謝しています。説教シリーズは終了しましたが、私の内に余韻が残っています。それは、この章の最終節(上記引用の13節)にあることばです。信仰・希望・愛の三者が比較されていますが、なぜ愛が最も大いなるものなのでしょうか。今回はこの問いにチャレンジしてみたいと思います。

 まず思いつくことは、この章の第二節です。特別な信仰であっても「愛がないなら、何の値うちも」ない、と信仰と愛の相対価値が比べられているところです。あっと驚くような信仰から生まれる成果(例えば、神に祈って賭博を当てる)よりも、神は、たとえ人には無視されてしまうような小さな愛の働きであっても、その方をより高く評価されることがわかります。

 もっと広いスケール(視野)で考えてみましょう。「神は愛です」(1ヨハネ4:8)と聖書にあるように、愛は神の特質であり、神は愛の源泉(みなもと)でもあられます。人がキリストの十字架を仰ぎ、キリストを信じる信仰を持つと、神の愛がその人に押し寄せてきます。それはちょうど、水力発電所のダムの水が開かれた水門から流れ出るようです。大量のダムの水は神の愛に、水門は人の信仰にたとえることができます。しかし、水門がいくら開いても、ダムに水がなければ水は出てきません。この場合、愛が信仰よりも大いなるものであることは明らかです。

 では、望み(希望)と愛にはどのような関わりがあるのでしょうか。キリストを信じる者には「子羊の婚姻」(黙示録19:7)が約束されています。この神の約束がキリスト者の望みです。望みを維持するには忍耐が要ります。忍耐の継続には(神の)愛の支えが要ります(ローマ8:38〜39)。それはちょうど互いに愛している二人の婚約者が結婚式を待ち望んでいるようです。二人は約束の実現に向かって準備をします。彼らの望みを支えているのは愛です。

 また、キリストを信じる者には永遠の「朽ちないからだ」が約束されています。この約束は信徒の望みです。望みは約束が実現するときまで生きていますが、実現と同時になくなります(ローマ8:23〜25)。しかし、同じように望みの維持には忍耐が、忍耐の継続には愛が必要です。ですから、望みは愛によって支えられていること、そして、愛が望みより大いなるものであることがわかります。

 主イエスは復活後、昇天なさる直前、将来の指針について弟子たちを指導なさいました。その時弟子たちは、イスラエルの将来について「今こそイスラエルを再興してくださるのですか」(使徒1:6)と主に尋ねました。彼らはイスラエル再興の望み(希望)を持っていたため、この望みについて主からの答えを最優先したかったのです。しかし主イエスは、「あなたがたは知らなくてもよい」(使徒1:7)と言ってその望みを優先なさらず、彼らが主イエスの証人となることを強調なさいました(1章8節)。主イエスの証人となることは、愛の働きをすることです。この場合にも、愛が望みに優先されていることから、愛が望みより大いなるものであることがわかります。

 このように考えてみますと、クリスチャンは愛によって特徴付けられる人々であることがわかります。最も大いなるもの(愛)を受けた人々ですから。その特徴が見えるでしょうか。
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