「ガーデナ平原バプテスト教会の会員となって(2)」 <教会便り 2005年8月号より>
- 藤本 三奈子 -
※藤本姉のご主人のジェフ兄は出会った頃、すでにクリスチャンとなっておられました。三奈子姉の車にぶらさがっていたお守りをみてクリスチャンとしか結婚しないという強い意志を伝えられた三奈子姉。ジェフ兄との交際を続けたいと願っておられた彼女はまず、キリスト教とはどんなものかを知るために教会へ通い始めました・・・
クリスチャンにならなければ結婚できないから何とか信じたいという思いが強く、なかなかイエス様を受け入れることができませんでした。聖書が教えていることはそれまで私が培ってきた価値観と180度違うことに戸惑いましたし、進化論ではなくて、創造論を信じることがまずできませんでした。牧師にその疑問を投げかけると、胸のポケットに入っていたペンを取り出し、「このペンは部品の一つ一つが突然空中にぽっぽと現われ、ヒャッ!というとそれぞれがさっさっさと集まってできたといったら、誰も信じないでしょ。でも、進化論を信じるということはそれを信じることと変わりがないんだよ。このペンは一つ一つの部品がそれぞれ目的を持って作られ、できあがっているんでしょ。」と話して下さいました。そして、私が救われるきっかけとなったのは「死」についてでした。
「死んだら、どうなると思う。」という牧師の質問に、「私が死んだら、何もかもなくなってそれでおしまい。それでいいです。」と答えました。「でも、死んで何もなくなってしまえばいいけど、誰も死後の世界から帰って来た人はいない。聖書には死後に裁きがあると書いてあるんだよ。」(ヘブル9:27)と聞かされたことでした。これは私の「死」に対する考えをもう一度考え直すきっかけとなりました。幼い頃から「死」に対する恐怖心を持っていたので、今では、イエス・キリストを信じるこの信仰によって永遠の命が与えられていることに感謝し、大きな平安が与えられています。それでも、イエス・キリストを救い主としてすぐに信じることはできませんでした。頭ではイエス・キリストの十字架の死を理解できたのですが、なかなか心で受け入れることができなかったのです。
初めは主を信じる信仰と結婚とを結びつけて考えていましたが、次第に別々の問題として捉える必要があることに気がつかされました。そして、聖書の学びやメッセージを通じて、主を心から信じたいという思いが与えられ、1998年12月、主の恵みによってイエス様を主と告白しました。教会へ通い始めて二年が過ぎていましたが、その間、主人は私が教会へ行かないといった日があっても責めることなく一人ででかけていき、祈り続けてくれました。1999年9月5日に結婚式を挙げ、主人はまだ洗礼をうけていませんでしたので、同じ日に二人揃って洗礼を受けました。クリスチャンが人口のわずか1%という日本に生まれたにも関わらず、私が救われたというのは、主の大きな大きな恵みと憐みであり、主のみわざが働いていたと改めて感じています。
主にあって変えられたこと、こんな私を愛し、豊かな恵みを注いで下さる主が共に歩んで下さっていることに感謝します。このガーデナバプテスト教会も祈りの中で与えられました。主が導いてくださったと確信しています。この教会で、主が私に望んでおられる働きができますようにお祈り下さい。さらに学びが深められ、多くの方々とお交わりができることを主にあって期待しております。どうぞ、家族共々よろしくお願いします。(終)