「証し(2)」
 <教会便り 2007年8月号より> - 尾関 祐子 -
※ 尾関祐子姉がまだ小さい頃クリスチャンになられたお母様の影響で、早くから神様の存在に気づいておられたと前回の証しにありましたが、その祐子姉がイエス様を救い主として受け入れられたきっかけはなんだったのでしょうか。証しを続けましょう。


   その後、私は毎週サンデースクールに通い、聖書の話を毎週聞きながら成長していきました。中学生が終わる頃には、神様の存在も、イエス・キリストが自分の罪のために十字架にかかってくださった、ということも耳にタコが出来るぐらい聞いていましたので、自分はクリスチャンだ、と思っていました。  

 キャンプでは「アブラハムの生涯」を通してみことばが語られました。ある夜講師の先生が、創世記の18章の中から、ソドムとゴモラを滅ぼそうとする神様とアブラハムが会話をする箇所を取り上げました。アブラハムは自分の甥のロトを救い出すために、神様に一生懸命交渉するのです。メッセージの最後に先生が、「みなさんはロトは天国に行ったと思いますか?私は思いますよ。アブラハムがやっぱりこのときみたいに神様に頼んだんじゃないかと思うんですよ。」と言ったときに、私は本当に心が刺されました。(今思うとこのコメントは神学的にどうなんだろう?と思うのですが。)

 自分にはアブラハムと神様のような親しい関係、何でもお願いして、そして神様がそれを聞いてくれるような関係がないことに気がついたのです。もちろん聖書を読んだことはありました。お祈りもしていました。でも、アブラハムのように他の人のことを神様に頼むほど、神様と親しくはありませんでした。その頃までに、私の母も兄もクリスチャンになっていましたから、ひょっとしたらアブラハムのように私のことを天国に入れてくれるように、神様に頼んでくれるかもしれない。でも、できれば、そうではなくて、自分が神様としっかりした関係をもって、自分こそが、アブラハムのように他の人の救いのために、神様にお願いする人になりたい、と思いました。

 その晩、私はイエス・キリストを自分の救い主として、心に受け入れるお祈りをしました。自分と神様が親しくないのは、私たちの間に「罪」と呼ばれるものであるからであること、イエス・キリストは、十字架の死と復活を通して、私と神様との関係を回復してくださったこと、そして永遠の命を下さったことを、素直に信じて受け入れることができました。

 「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

 神様は、私の母でも兄でも、他の誰のお願いのためではない、私自身を愛している、と言ってくださったのです。

 このときから、私は死んでもちゃんと天国に行くことができる確信が与えられました。20年経った今、その確信は深まるばかりです。あの時、自分は神さまと直接仲よくなりたい、と思ったのですが、今、私は神様とずっとずっと親しくなりました。神様は私の声を聞いてくれます。また、神様の思いを私に教えてくださいます。すべてを支配している神様が私を気にかけ、愛してくださっていることを実感する毎日です。ありがとうございました。(終)
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