「証し その3 第二次世界大戦が終り・・・カナダの東部からカリフォルニアへ」 
<教会便り 2006年12月号より> - 西本 モーリー -
 前号で西本夫人自ら、故西本晴海牧師との出会いに「神様は病をお用いになりました」と証しされていますが、 神様は病や、強制収容などの悲しみを通して一組の「神の僕」を創られました。西本夫人の神様への賛歌はまだ続きます。

 ケベック州のモントリオールで1947年から1949年まで過ごしたあと、私達はオンタリオ州のトロントにやって来ました。主人がその地の聖公会の日本語部牧師として労した為です。その教会で私はボランテアのオルガニストとしてご奉仕をさせていただきました。当時カナダに住まう日本人を対象に伝道していたのは合同教会と聖公会の教団でありました。 バプテストとして育った私達ではありましたが基本的な教義の故に聖公会でご奉仕をすることにきめました。

 私にとってトロントでの生活は更なる音楽の訓練の時でもありました。トロントの音楽大学で学びを受けることができ、ピアノ科の先生より人を教えるため(先生として)の訓練を受ける時でもありました。更にその大きな町の中央でクリスマス、イースター、感謝祭等の時に催される数々の素晴らしいオルガニストの演奏を目の前で聞くことができました。

 長女が1949年にトロントで生まれ、次の年1950年の7月にはロスアンゼルス・バプテストシテイー宣教団体の長であられたラルフ・メイベリー博士の招聘を受け、私共家族三人はトロントを後にして南カリファルニアに向かう汽車の旅をした記念すべき年でもありました。

 戦前の日本人に対する強制立ち退き後のガーデナ平原バプテスト教会の成長ぶりは皆さんも御承知です。2006年現在に至るまでの教会の成長はただ神を崇めるのみです。

 1954年からピアノを教えるように導かれたそのことは私にとって心からの喜びでした。トーレンスにあるエルカミノカレッジにおいて1958年にオルガン科が設立され(現在はやっていない)当時英語部牧師の奥様であられた広瀬でんこ夫人とともにそのクラスに出席できたことは喜びでした。その後このエルカミノカレッジで他のクラスも(声楽、イタリア語、日本語、ピアノコース)と勉強できたことは私の音楽家としての人生が思いもよらない期待と喜びに溢れ広がるものとなっていくものでした。私にこのような機会が与えられたのは私の伴侶の励ましとサポートなくして与えられるものではありませんでした。

 このピアノ教授から捻出された収入は貧しい牧師のサラリーを助け、後に4人の子供達の教育費にあてられたのでした。子供たちは四つの分野で勉学に励み、その大学や大学院の費用として奨学金をいただいたり、また自分たちで働いて学費を稼いだりした分も合わせて神は忠実に必要をお満たしになりました。(ピリピ4の19)神に栄光がありますように!

 1994年に夫が召された後、私は43年間続けたピアノ教師を1997年に辞めました。私にとってそれからの時は音楽奉仕者として新しい働きに入る時期となります。 英語部・日本語部両語部の奏楽のご奉仕、お葬式や結婚式、時折入るプロの方々の奏楽者としての働きも含めてオルガンやピアノを弾くことになります。

 不思議なことの一つは1993年に右手の手首の骨折をしたため手の巾がせまくなったにもかかわらずこれらのご奉仕をしているということです。その骨折のために治療はしたのですがそれがきっかけで私の体の中に関節炎がおきました。痛みがあるのですが、私の指だけには一切痛みがないのです。関節炎の痛みの中にあっても主は私にピアノを弾けるという能力を残しておられるのです。 私はほんとうに主の祝福の中にある者です。 イエス・キリストにある神とのすばらしい関係を保ちつつ大いなる楽しみや喜び、神をほめたたえる音楽の調べを奏でることが出来るのは何という大いなる祝福でしょう! 神よ、私は心からあなたに感謝します!(終り)
- 最近掲載した証し -

※それぞれの項目名をクリックしていただくと、そのメッセージに関するページに移動します。

次回掲載分 私とピアノと神様 その1 教会便り 2007年1月号
前回掲載分 証し その2 出会い 教会便り 2006年11月号

※このページ下「証し集目次へ」をクリックしていただくと、目次ページに移動します。

トップページへ戻る 教会のご紹介 証し集目次へ 初めて教会へこられる方へ