「私とピアノと神様(ガーデナコンサートでの証し) その1」
 <教会便り 2007年1月号より> - 水野 広子 -
※クリスマス祝会では、どのようにクリスチャンとして導かれたのか、そのお証しも交えながらピアノ演奏してくださいました。ピアニストとしてのすばらしい業を披露してくださった水野姉のお証しを、今月と来月の二回にわたってご紹介することにいたしましょう。

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水野姉のお証し  私がピアノを始めたのは、4歳になる頃でした。絶対音感を身につけるための音感教育は、それ以前2歳頃から、母により始められていました。中学生になったときに、高校からの音楽学校進学の意志があるかどうかをピアノの先生にたずねられました。すでに生活の殆どをしめていたピアノをやめることは考えられず、当然のように"はい"と答えてからは、音楽学校受験生としてさらに厳しいレッスンを受けていました。そんな最中、私は"指の体操"の先生のレッスンを受ける機会に恵まれました。その先生は、解剖学的にピアニストの指や手の機能を分析研究している方で、レッスンでは各生徒の手の弱いところを強化するためのいろんな体操を教えてくださいました。その先生は、初めてのレッスンのとき、私の手を取り一目見るなり"ピアノ以外に好きなことがあるのなら、そちらに進みなさい。あなたのような手はね、普通の人の5倍は努力が必要な天然記念物の手なのよ。"これは、私の手はピアノを弾いていく上でハンディキャップがあるのだと、宣告されたということでした。ピアノという楽器を巧みに弾きこなすには、指の一本一本が独立(指と指の間の腱が強く引っ張り合っていないこと)していなければなりません。

 私の指はその引っ張り合う力が強く、自分の思うように指が動かないのです。その指の先生の言葉に母は相当ショックを受けたようでした。

 それでも、私は私の指の問題に共に取り組んでくれる理解者を得、さらに訓練を積み重ね、何とか音楽高校、音楽大学と進み、自分にしかわからないハンディを持ちながらも充実した学生生活を送りました。在学中からいろいろな人との出会いに恵まれ、その頃からずっと私はアンサンブルピアニスト、伴奏者として、演奏の場を途切れることなく与えられました。しかし、失敗したり思うように弾けないことがあるたびに、その指の先生の言葉がよみがえり、「どうして、私のような指でピアノ弾いているんだろう。私より弾ける人は、世の中に五万といるのに」と自問自答しました。でもその答えはいつも、"辞める勇気がない。続けるしかないな、、、。"という消極的なものでした。

 私と神様の出会いは、絶妙な神様のご計画によるものでした。この世で絶対変わることなく信じられるものを見出すことが出来なくなっていたとき、娘の幼稚園の教会に導かれました。そのとき私は、主人の転勤によって失われてしまう職場すなわち肩書きに執着する思いに、苦しんでいました。その教会では幼稚園のお母さん方対象の礼拝が毎週金曜日にもたれていましたが、ある日の牧師先生のメッセージが、私を力強く励ましてくれました。それは、家庭の主婦、お母さんは、イエス様と同じように十字架を背負っているのです、という内容でした。家族の全員が自己実現に走ると、家庭は崩壊してしまう。家族の犠牲になって損しているように思っているかもしれないが、イエス様が私たちのために十字架を背負われたように家庭の中で誰かが十字架を背負わなくてはならない。そのように尊いことなのです。とのメッセージを聞き、肩の力がフッと抜けて、喜びに溢れる思いに包まれました。そうして、喜んで主人と子供たちのために、すべてを手放そうと思うことができたのでした。

 (次号につづく)
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