「主イエスに祈るリーダー (4)」
 <教会便り 2008年6月号より> - 西本 シリル師 -
※これまで掲載した西本シリル先生のメッセージから、牧師であられたお父様は「主に祈る」というすばらしい勝利に満ちた人生の秘訣をイエス様から学ばれたに違いないという確信が窺えます。さらにその具体的な祈りについての掲載が続きます。

 イエス様はいつも祈っておられます。イエス様は死んだラザロをよみがえらす前に祈られました。またイエス様は病人を癒された後、5千人の人に2匹の魚と5切れのパンで食事を与えられました。イエス様は12弟子を任命される前に、一晩中このことを父なる神に祈られました。ゲッセマネの園においては、ご自身の命を十字架の上で犠牲として捧げなければならないことについてもだえながら血の汗を流して、激しく祈られました。そして人として最低のところまで下られ、十字架に付けられ、見捨てられ、また傷めつけられ、辱しめられ、そしてまさに死のうとされていたとき、「父よかれらをお赦しください、彼らは何をしているのかわからないのですから」と祈られたのです。

 イエス様はその働きの前や後、決断するとき、また必要のあるとき、そして祝福をするとき祈られました。父が私に「イエスに祈りなさい」と助言したのは、父もイエス様が祈られたと同じように神に祈っていたという経験から言ってくれたのだと確かにわかりました。しかし何を何時イエス様は一人で神様に祈られたのでしょうか。

 それはイエス様が弟子たちに何を祈るかについて教えられたところに見る事が出来ると思います。“主の祈り”を見ると、驚くなかれ、神様へのお願い事は半分以下で、半分以上は神を礼拝し、あがめ、たたえることばです。事実、私たちがまず神様に心を向けなければ私たちのことを祈る場に到達できません。祈りは神様から何かいただくものではなく、神様ご自身を自分の中に迎えて、神様が私の人生で一番必要な門なのだということを見つけることなのです。

 神様に対して創り主や王や裁判官としてではなく、私たちの父親として相対して祈る時に私たちの心は神様に信頼し、また恐れのない親しい家族のような関係を感ずるようになります。そして祈りは自然と湧き上がるような神様との親しい関係を保つ方法でもあります。

 祈ることは神様とそのみ業、またその御心を私たちの人生の中でまず第一とすることであり、また神のみ業とみこころをイエス様が私たちのすべてのもの、体やたましい、そして精神においてなしてくださることです。

 私は20年以上にわたり自分自身の祈りのガイドとして、“主の祈り”を用いて毎朝30分ぐらい祈ります。

 まず神様が私の父であり、私はその子とされたこと、また神様が私が思う以上に私を愛してくださることを認めることから始めます。それから神様を主権者なる方、全能のお方、永遠なるお方、義なる方、公正なるお方,愛なるお方、恵みに満ちたお方、そして私にとっては私の父を11日間の意識不明よりよみがえらせ再び私たちの家族に戻してくださった方、そして、私にJASSIとIWAの働きを与えてくださった方、また私をおぼれている川から救い出してくださった方と賛美します。

 さらに、私は神様を全宇宙の王と呼び、私の家族一人一人にまた私の教会に、日本人に、日系アメリカ人に、全米にあるアジア系の教会に、また合衆国に、カナダ、ブラジル、日本にはたまた全世界に神の国が到来しますようにと願います。

 (続く)
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