※先月に続き井谷和美姉のお証しを掲載いたします。宣教師ご夫妻による3年半の福音の種まきは見事に実をつけ、和美姉はクリスチャンとなられたのでした。・・・
3年半の間ご夫妻の送ってくれた聖書に関するものを読んでいたので、ある程度キリスト教の知識はありましたが、まさかこの2週間そこそこの滞在中に自分がイエス様を救い主として受け入れることになるとは思いもしませんでした。3日後コロナデルマーという海岸で受洗しました。ロス出発前心細くなっていた私にある人が「イエス様はどこに行ってもおられる方だよ」と教えてくれました。
出発の前日、学校に連絡したところ空港に迎えに来てくれるはずだったボランティア学生が高熱を出して来られなくなったとのこと。ご夫妻の知り合いのそのまた知り合いでアラバマに住んでいる人が代わりに空港まで迎えに来てくださる事になりました。空港で待っていて下さったのは2人の中年のご婦人でした。アラバマでの生活が始まってすぐにこのお二人が私を教会に連れて行ってくれるようになりました。また大学が休暇に入って寮が閉鎖するたびに招いてもらいました。
アラバマ州に着いてすぐ、2人のルームメイトとの寮生活が始まりました。一人はクリスチャンの黒人の女の子で、私がクリスチャンになったばかりだと告げると大学のクリスチャン学生の集まりに連れて行ってくれました。学校を卒業するまでの3年半の間その集まりを通して神様は何人ものクリスチャンの友達を与えて下さいました。アラバマ州での留学生活はそれまで体験した事もなかった貧乏学生の生活でしたが、それは同時にイエス様に頼る生活となったのでした。
もうひとりのルームメートは日本人のすこし年下の子だったのですが、寮での生活が始まって4ヶ月たったある日、掃除をしていた私は彼女がいつも日記のように書き綴っているノートが机から落ちて開いたのを見てしまいました。そこには彼女が私ともう一人のルームメートのものを少しずつ盗んだ記録がしてありました。なんて人だろうと思いましたが彼女には直接言わず心の中で軽蔑しました。その日から私はそのことばかり考えるようになりました。
そんな日々を過ごしていたある日曜日、いつものように教会の礼拝に行きました。礼拝が始まると私はいつか読んだルカの福音書18章のパリサイ人と取税人の話のことを考えていました。礼拝の間中この話のことばかりが思い出され、ある瞬間私はこの数週間あのルームメートのことを心の中で裁き続けていたことに気がつきました。クリスチャンである私は自分を彼女よりも正しい人間であるかのように考え、ひとり優越感にひたっていたのです。それまで自分が罪人である自覚など全くなかったのですが、自分がとても醜い心を持っていることが分かり、このような自分が嫌でたまらなくなりました。
すでにその4ヶ月前にイエス様を受け入れますと言って洗礼まで受けていた私ですが、あまりにも簡単にイエス様を受け入れた感があったので自分はあの時本当には救われたのかという疑いの念に襲われることがあった私でしたが、その日初めて、イエス様こんな私を赦してくださいと祈りました。するとそれまでに体験したことがないくらい心臓の辺が熱くなり涙がぽろぽろ流れて止まらなくなりました。礼拝堂の十字架が目に入り、イエス様が私の罪を背負ってあの十字架に架かって死んでくださったのだと分かると感謝の気持ちでいっぱいになりました。それから私はあのルームメートのために祈る者と変えられました。 (おわり)