「救われるまでの証し その1」 <教会便り 2003年11月号より>
- 森本みどり -
※今月より10月19日の信徒礼拝で証ししてくださった3名の兄姉の救いの体験を掲載します。まず初めに、森本みどり姉のお証しを2回にわたって掲載します。・・・
私は1985年5月26日、天野先生より洗礼を授けていただきました。日にちまではっきりと覚えているのは、その日が私の誕生日だったからです。当時、洗礼式は年に2回しかなく、自分の誕生日が日曜日で、しかもペンテコステの日が洗礼式というのは本当に恵まれていたと思います。 私は洗礼はまだ早いと思っておりましたが、「誕生日で、ペンテコステの日に洗礼式があるなんて、滅多にないことだよ。聖書を全部読んでなくったって、信じたのならそれでいいんじゃないの。」と、受洗を勧めてくれたのは、未信者の主人でした。 主人は小さい時から、母の影響で黎明教という神道を信じておりました。実家は代々、天理教信者で、父は教会の長をしており、家では黎明教の集り、天理教の集りでいつも賑わっていたそうです。私は無宗教者でしたが、結婚してからは黎明教のお守りを持たせられ、日本に帰国する度に、黎明教の集会に連れていかれました。けれども、こちらにいる時は何も祭らないし、こちらの黎明教会にも、天理教会にも、行きませんでした。主人も感化されて無宗教者らしくなっておりましたが、それでも常に私に何らかの宗教を持った方が良いと言っておりました。 主人と結婚してから、長女も生まれ、家も買い、幸せいっぱいの生活が続きました。そして次女が生まれました。次女は1ヶ月早く、約3.5パウンド(1500グラム)しかない、未熟児で生まれてきました。しかも心臓に欠陥がありました。また、肺から心臓への動脈が繋がっておりませんでした。 娘はすぐに肺動脈をつなげる手術をしなければ、2,3日しか生きられないとの説明がありました。しかも、体重がせめて6パウンドなければその手術に耐えられないということでした。ちょうど少し前に開発された薬を使って体重が6パウンドになるまで待って手術を受けるか、または自然にまかせるか、と担当医に問われました。その成功率はしかし、50%以下ということでした。 私たちは生きる可能性があるのなら、お金がかかっても手術を受けさせたいと思いました。その薬を点滴で打ちながら、いろいろと精密検査が始まりました。すると、他にも異常があり、たとえ手術が成功しても重度の障害児になることが分かりました。担当医からは治療を続けるか、延命装置を外して自然にまかせるか、の選択を迫られました。私たちはどうしたら良いのかわかりませんでした。 その時、主人が教会へ行こうと言いました。それも、天理教や黎明教の教会ではなく、キリスト教の教会へ行こうといったのです。このガーデナ教会では、その3年前に永住権の申請のために、結婚証明書が必要となり、天野先生に二人きりの結婚式を挙げて頂いておりました。天野先生とは3年ぶりでしたが、覚えていて下さって親身になって祈ってくださいました。そしてイエス様のこと、天の御国のことを話してくださいました。 私達はもしかしたら、娘は天の御使いではないかと思いました。そして、神様は私達を教会に導くために、遠大な計画を立てていらっしゃると思いました。 この教会で結婚式を挙げたことに続く全てのことは神様のご計画のうちだったのです。(次号につづく) |
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