「証し その2 出会い」 <教会便り 2006年11月号より>
- 西本 モーリー -
※先月から西本モーリー夫人のお証しを紹介しています。カナダのバンクーバーで成長されたモーリー夫人は、そこでクリスチャンとしての基盤を培い、ついに音楽の学位も獲得なさったとのことです。
(翻訳:大谷至美姉) カナダに住んでいた私は自分が結婚できるとは思っていませんでした。なぜなら自分の結婚すべき相手はまずクリスチャンであり、そして日本人であり、その上クリスチャン男性として成長された尊敬すべき人でなければ結婚しないと決めていたからです。そのような男性は私の周りに誰一人としていませんでした。 が、神のなさった驚くべき事が私の身におきたのです。 多くの日系人にとっては耐えられないような喪失の時であった収容所での経験が私にとっては隠された神の祝福の手がさしのばされた時でした。神は私にある計画をお持ちでした。この収容所の経験を通して神は私を西本春海と出会わせてくださったのです。収容所の経験が無かったら私は西本と出会うことも無かったことでしょう。この時西本は日本にある長老教会で既に副牧師をしておりました。そしてこの頃フィラデルフィアにあるウエストミンスター神学校に入学するつもりで日本からカナダに帰国をしていました。しかし日本で結核を患ったためにバンクーバーで入院を余儀なくされました。彼はニューデンバーにある新しく建てられた結核療養所に収容されました。その厳しい冬の次の年に私の姉は肋膜炎を患い西本と同じ療養所に収容されたのでした。姉を訪問するとき、殆ど面識のない西本も訪問するように依頼されたその事がきっかけで彼と文通が始まりました。 やがて何度も大変な引越しをする中で父の健康が思わしくなくなりました。日本語を正式に教わらなかった私は日本語で自分の心の中におきた救いのことや自分の心の中でおきていることを父に証しすることが出来ないでいました。そこでバイリンガルであり英語と日本語を自由に操る西本に日本語で父にキリスト教についてそして魂の救いなどについて手紙を書いてくれるようにと依頼したのです。 この頃(1945年) 彼は療養所を出て両親の住むベイファームに住んでおりました。彼は父に6通の手紙を書いてくれました。そのことによって父は生まれて初めて日本語でイエス・キリストに在る救いを理解することが出来たのです。その父がイエス様をはっきり信じました。父の枕元でわたしはOnly Trust Him を日本語で賛美しました。主が今あなたを救われます・・・・主にたよれ・・・と。父はそのとき既に話すことは出来ませんでしたが答えるかのように頭をふりながら低い声でウーウーと言いながら無意識状態になり、その一時間後に召されていきました。隣の部屋で休んでいた母が父の病室でおきた事を私から聞き、「じゃ私もクリスチャンになれるのね。私も同じ決心をしていいのね。」と大声で喜びの声をあげたのです。父に遠慮をしていた母はそれまで自分がどんなにクリスチャンになりたかったかを言わずにいたのでした。 神は病をお用いになりました。西本の病気、姉の病、父の病を通して私の伴侶となる人が与えられました。そして西本を通して父と母にイエス・キリストにある救いがもたらされました。 私共は1947年にモントリオールで結婚しました。日系人収容という辛い経験のなかから私の家族には永遠の命が与えられました。 "主よ。あなたの御名を心からほめ称えます。" (次号につづく) |
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