「証」
 <教会便り 2009年11月号より> - 磯野 牧人 -
※今月は磯野牧人兄の信徒礼拝(8/23/09)においての証しをご紹介します。太平洋戦争下での過酷な生活を体験したものの、イエス・キリストの許に導かれた大いなる恵みに感謝しておられます。まもなく89歳を迎えられる磯野兄ですが、これまでの歩みの中から11月が人生の節目になっていたと証しをされました。信徒礼拝や折々の礼拝においてのお証しは、お一人お一人に関わってくださる主の恵みを知る事ができるすばらしい祝福の時ではないでしょうか。

 11月という月は私にとっていろいろなかかわりを持った月であります。

 今から68年前、日本が真珠湾を攻撃して日米戦争が勃発、その太平洋戦争が始まって間もなく、私は召集令状を受け取りました。11月のことでした。この召集令状を貰った人は、タバコの火をつけようとしても手がぶるぶる震えてなかなか火がつけられないというほど、精神的に大きな打撃を受けると言われておりました

 私の場合、案外平静な気持ちでした。「いよいよ来るべきものが来たか」と、生きて帰れるかどうか分からない状況だったので早速身辺の整理を始めました。

 やがて国防婦人会や町会の人々の歓呼の声に送られ「再び生きて我が家の敷居をまたぐことはないだろう」と覚悟をして出征いたしました。

 当時の関東軍で、満州(今の中国)のハルピンと言う所からちょっと離れた所に駐屯しておりました。

 入隊一日目は大変な歓待を受け、お頭付きの魚など出た記憶があります。ところが、次の日からは非常な激しい訓練の連続、古年兵にはしごかれ、過酷な生活で初年兵時代はまさに生き地獄のような毎日でした。

 ある時、軍服のボタンの一つをかけ忘れていたのを古年兵に見つかり「磯野、ちょっと来い、ボタンが一つはずれてる。俺が貰っておく。」と言われてそのボタンをもぎ取られてしまいました。

 ボタンを取られると、厳しい軍隊のこと、罰を受ける事になるので、「今後このようなことがないよう気をつけます。許しください。ボタンを返していただきたいであります。」と謝りボタンを返してもらいました。

 けれどもただで返してくれるはずもなく「ビンタ」というほっぺたを平手で二、三発殴られてからようやく返してもらったという経験もしました。

 軍隊というところは厳しいところ、食事なども5分くらいで済ませなければならず、毎日毎日が一分一秒休む間も無く動き回っていなければならない状態でした。

 夜、9時になりますと、消灯ラッパが聞こえて来ます。ラッパの響きは物寂しく、「初年兵はかわいそうだね。また寝て泣くのかよ。」という言葉に引き合うような音律で、ベッドの中に入り、日本の生活が懐かしく、軍隊生活の厳しさに毎晩涙を流しておりました。

 やがて部隊は宮古島に移動することになりました。当初は食料事情も良かったのですが、だんだんと戦況が不利になると、満足な食事も与えられず、朝食は海水に芋の葉っぱが二、三枚とご飯粒が5,6粒というような食事になり、栄養失調になって倒れる者も続出しました。

 ますます戦況は悪化、沖縄は玉砕し無条件降伏をして終戦を迎えました。

 私達の部隊は米軍によって武装解除され沖縄の捕虜収容所に収容されました。それが11月のことでした。

 復員という朗報が知らされたのは捕虜生活を1年近くなった頃で、上陸用舟艇に乗せられ、名古屋に復員したのも11月でありました。

 再び日本での生活に戻されてから34年ほどたって、イエス・キリストを信じ洗礼を授けられることになったのは、60歳の時の11月でした。

 私のような取るに足らない者をも、神様は戦争に駆り出されたけれど再び我が家に戻る事を赦され、イエス・キリストの許に導いて下さり、生まれ変えさせてくださいました。そしてこの年になるまで命を与えてくださっている大きな恵みを感謝している次第であります。
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