「神の恵みを奏でる手」(2)
<教会便り 2009年10月号より> - 小堀英郎(ひでお) -
※小堀英郎兄は高校生の時に、父親がクリスチャンの女性と再婚したことがきっかけで教会に導かれるようになりました。若者たちと一緒に賛美していくうちに主はイエス様を求める心を起こしてくださり、又、牧師との学びを通して受洗へと導かれ、希望していた大学への進学も叶い充実した日々を過ごしていました。
ところが大学3年生の秋の日に、私はオートバイで交通事故に遭いました。ぶつかった私は空高く上げられて地面に思いっきり叩きつけられました。翌日、病院で検査を受けたところ、手首の関節が複雑骨折を起こしていました。医者は「医学的な常識では、この部分を骨折した人はまず元通りに繋がらない。いやそれどころかお箸を使って運動とか、手紙を書くとかそのような日常の運動にまで影響する。もうステージに上がることは二度とできないでしょう。あきらめてください。」という診断でした。
たくさんの人に祈られました。私もそれをしっかりと受け留めて、主がこれをどのように導いてくださるのか、祈りました。いつものように聖書を開いてみことばを読みました。その日はヨハネの福音書の14章に至りました。
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(14:1)また「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安をあなた方に与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」(14:27)というのです。このみことばは単なる耳にやさしい、心地のいいことばではない、生きておられる神様の後押しであるメッセージでした。私はなにかすごいことが起こりそうだという理由のない確信に溢れました。それが見事に的中したのです。
クリスマス・イベントが終わって、日本は大晦日を迎えようとする師走の慌しい日、わざわざ私一人のために病院を開けて診てくれた医者は驚きました。レントゲンを同じ角度から撮りました。繋がっていたのです。もうあきらめてくださいとまで言われ、医者も期待していなかったのに・・です。その医者は奇跡が起こったのかなと頭をボリボリかいていました。
私はこの体験を期に祈りました。「今までは世の中に認められ、競争に勝って、自分の名誉のために一生懸命頑張ってきた。でもこれからは違う。神を賛美するために、神の恵みを奏でる手としてこの手を生涯、あなたに献げます。この手はもはや自分の手ではない、あなたのものです。」と神様に献げたのです。
するとなんということでしょうか。3ヶ月後にはステージで演奏することができたのです。医者から「あきらめてください。もうコンサートは無理です。」と言われたのに・・・です。そして予定通りに大学を卒業でき、フランスにピアノ留学する道まで開かれたのです。
手が治ったから、奇跡が起こったからイエス様は素晴らしい、神を賛美するというのではなく、私の信じる神はこの小さな男のこの小さな骨の痛みまでも知っておられ、このどこの誰ともわからない男のたった一度の人生さえも無駄にはしたくない、滅びに行かせたくないという愛の神様であり、私を「小堀英郎」と名指しで、また皆さん一人一人の名前も名指して呼び続けておられる神であるということをこれからも分かち合いたいと思います。(終)