「救われた証し」 その1<教会便り 2001年11,12月号より>
- 岡田 由美子 -
※今回から岡田由美子姉のお証しが始まります。由美子姉はご主人の健一兄が後に救われる大きなきっかけを作られたその人で、教会でも現在、奏楽の奉仕を通して主に信仰を証ししておられます・・・
私の両親は仲が悪く、よくひどいけんかをしていました。 私が中学生の時、母は家を出て帰ってこなくなりました。 父もそのうち1ヶ月に1度、生活費を渡すために顔を合わす位になり、ほとんど私と当時小学生だった妹の二人で暮らすようになりました。その頃は「どうして母は私たちを捨てて出ていってしまったんだろう。」と毎晩のように泣いていました。自殺も試みましたがそういうときに限って父に見つかって死にきれずにいました。 大学に入学してからは授業の合間に朝・昼・晩と違うアルバイトをしてお金を貯めアメリカに留学することになりました。表向きは英語を理解できるようになりたい、というのが留学の目的でしたが、銃社会アメリカの治安の悪い場所へ行けば一思いに殺してくれるのではないか、とそんなこともぼんやりと考えていました。妹は叔母さんの家にあずけられました。 そして1983年、フロリダ州タンパの大学に通い始めました。日本での暗い生活から離れ、クラスも寮での生活も毎日が楽しくて楽しくてこのまま時が止まったらいいのに、と思うほどでした。そのうち、友人から「ユミはISIに入っているか?」と聞かれました。ISIというのはキャンパス内にオフィスがある、留学生のケアをしているボランティア団体でした。私はまだ入っていなかったのですぐに登録をし、ISIの活動に時々参加するようになりました。 週末になるとボランティアの人の家で行われるパーティに招待されます。そこには今まで私が全く知らなかった愛に溢れた家庭というものがありました。食事の後に何人かの人が祈っていたのでクリスチャンなんだな、とわかりました。 学期が終わり、友人からニューヨークへムーブしないか、と誘われ好奇心もあって引越しする事になりました。ニューヨークへ出発する前の夜、学校のカフェテリアで食事をしていたらISIで大変お世話になったシェリングさんという方に偶然お会いして引越しのことを話したところ、「ニューヨークはとても危険な町で心配だ。知り合いがいるから、彼女のところへ行きなさい。」と言ってその方の住所と電話番号を教えて下さいました。 翌日、到着したニューヨークの空港からすぐにそのマリオンという人に電話をかけてみました。すると彼女のルームメイトが電話に出て、今マリオンは出張にでていてしばらく帰ってこないけどその間部屋を使わせてあげるから来たら、と言って下さり、彼女のアパートに居候することになりました。アパートに到着しドアが開いて驚きました。ルームメイトの彼女はメイミー・鎌田といって日系人だったのです。(それまで留学生以外でほとんどアジア系の人と出会えなかった。)同じ日本人ということで私達はすぐに仲良くなりました。彼女は日本語と英語の新約聖書をプレゼントしてくれました。 昼間メイミーが仕事に行っている間、小説を読むようなかんじで聖書を読み始めました。一つの福音書を読み終えてパウロの手紙のどれかだったと思うのですが(残念ながらどの聖句だったか覚えていません。まさか数年後に「証し」などというものをするとは思っていなかったので)ある箇所を読んだ瞬間、言葉で現せないほどのものすごい光が頭上に降りてきました。その光のなかに包まれた時、今まで何をするにも自分中心に考えてやってきた汚さ・醜さがはっきりとわかり、号泣して「神様、ごめんなさい。」と何度も謝りました。そして神様に自分を捧げきりたい、今神様のために死んでも全然惜しくない、もし生かしていただけるなら私の人生の1分1秒でさえも何か神様のために使っていただきたいと思いました。神様の赦し、このうえない愛に触れさせていただき涙が止まりません。それは何分くらいの出来事だったか全く覚えていませんが私の人生を完全に変えてしまいました。夜、メイミーが戻ってくると聖書の事、天国の事、イエス様の事を質問攻めです。次の日曜には彼女の教会に行って信仰告白をしました。(次号につづく) |
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