「私の人生を支配しておられるお方を知って その2」 <教会便り 2004年9月号より>
- モラレス・アーウィン -
※「私にとって天国に行ける唯一の方法は、良い人間になることでしたが、一生懸命頑張れば頑張るほど、一層難しくなってくるのでした。」と告白しておられるアーウィン兄でした。・・・
私は神から離れて生まれ、イエス・キリストによる救い無しには永遠に神から引き離されて死ぬ運命にありました。残念なことに、私は自分では自分を救うことは出来ません。しかし、幸いなことに、このイエス・キリストが2000年前に私の代わりに完璧な人生を送り、そしてまた私の代わりに苦しみを受けて死んで下さったのです。私はただ、イエス・キリストが私を救って下さったことを信頼すればいいだけなのです。
私が子供の時、聖書にある事実に納得していましたが、イエス・キリストを信じていませんでした。私はイエスが死んだことを信じていましたが、彼の死によって私が救われるということを信じていませんでした。だから私は自分を救うために努力しようとしていたのです。しかし、今私はイエスについての歴史的な事実だけでなく、イエスが完璧な人生を私のために生き、私のために死んでくださったから、神が私を受け入れて、私が死んだら天国へ迎えて下さるということを信じています。
聖書はそのことを次のように書いています:
人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰による。(ローマ人への手紙3:28)
人は律法の行ないによっては義と認められず、ただ、キリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる。(ガラテヤ人への手紙2:16)
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ人への手紙2:8-10)
1987年の12月ごろ私はイエス・キリストを救い主として受け入れ、私の人生を支配して下さるようにゆだねました。
イエス・キリストを信頼するようになってからは、自分に平安が与えられ、そして神様が私を愛していることを確信しました。私自身かその他の人が何をしようとも、神様はいつも私を受け入れて下さると確信しました。まだ良い人間になるように頑張る必要がありますが、それは別の理由を付けてです。それは神様に受け入れてもらうためではなく、神様が私を既にイエス・キリストのように正しい人と認めたから、イエス・キリストのように考えたり、行動したりするのがふさわしいからです。私にはまだ罪を犯す傾向があり、特に神様の力に頼らない時です。但し、私には新しい動機が与えられました。神様が私のためにして下さったことを知っているからです。(終り)