「主イエスに祈るリーダー」(6)
<教会便り 2008年9月号より> - 西本 シリル師 -
※ 西本シリル先生のメッセージの連載も次回で最終回を迎えますが、祈りの姿勢が自己中心のことからとりなしの祈りへと変えられていく時、主はその祈りを深く取り扱われるようになる、と先生は続けられます。
昭和3年(1928年)生まれの私の父は、最初小学校の教師をしていましたがそれをやめ、四国の幼稚園もある大きな教会に赴任しました。楽しくて良い教会だったそうですが、「ここは誰にでも出来るから。」と後任牧師が居なくて困っている、広島の山奥の教会へ自主的に代わり、そこで私は3番目の子供として生まれました。 それで、私は自分の家族一人一人のために祈る人となったのです。さらに、親しい友、IWAでの同僚、サポートしている宣教師、GVBCのスタッフ、私の知っているイエス様を信じていない人たち、癌で苦しんでいる知人、心臓病の人、その他の慢性疾患を患っている人のためにも祈ります。 それほど前の話ではないのですが、私は少しだけの人のためにしか祈っておらず、それも祈ったり祈らなかったりしていました。しかし、イエス様が私をある特定の人の必要のために安定してしかも継続して祈るようにさせてくださったことによって、この分野での私の人生が変わりました。 私の友達がある教会の牧師として仕えていたのですが、そのほかにも牧師がいてその人が教会分裂の危機の原因となっており彼は非常に霊的な圧迫をうけておりました。私は早速この教会を愛している二人の友人を誘って、彼をサポートするチームを作り彼と彼の教会のために毎日祈ったのです。その一年後奇跡は起こりました。その問題となった牧師は移動し、現在この教会は祝され以前にまして成長しています。 たった一人のために毎日祈り続けたことにより、私は他の人々の人生や私の上にイエス様が働いてくださる事を願っているのだと思いました。そして私はそのほかの人のことについても祈り始めました。まず始めにその牧師のために一緒に祈ってくれた2人の友人です。また今では、もっとたくさんの人のために長い時間を費やして祈っているのです。それは私の重荷とはなっていません。それは習慣になっています。しかし、ほとんどの場合私は自分が受けたイエス様の愛と助けを、イエス様が愛しておられる他の人々に届ける特権を授かっているような感じさえ受けるのです。 毎朝わたしは仕事を始める前、半時間ほどIWAの働きのために祈ります。それは日本人や、日系アメリカ人、さらにはアジア系アメリカ人がイエス様に心開き、IWAの働きにおいて、彼らをイエス様との関係に導く新しくかつ微妙な文化的道を見出すことが出来るよう神様に祈ります。また、それぞれのプロジェクト、わたしたちが導く研究会、私たちが作る小冊子などについても祈ります。そのほか一人一人名前を挙げてスタッフのため祈り、わたしたちの経済的必要が満たされるためにも祈ります。ほぼ毎年私たちは基本的なぎりぎりの予算に対しても、3万ドルもの不足に直面しているのです。しかし、神様は毎年助けを下さり、その危機をしのがせてくださいます。IWAは本当に信仰にある宣教団体です。 私はここで神様がどんなことについても私たちが祈ることを望んでおられるというお話をしないといけないと思います。それは大きなことについてだけでなく、ほんの些細なことについても、です。 昨年のことですが、映画を見るためにデルアモ・モールに行きました。映画の切符を持って、始まる45分前に到着したので、その辺りにある新しく出来た店を一回りしてくることにしたのです。30分ほどして、映画館に入ろうと思い、入り口の前でポケットに手を入れ切符を取り出そうとしてポケットの中にあった紙切れを出したところ、それは切符ではなかったのです。どうしたことかと思い服のすべてのポケットをあわてて探したのですが、切符は見つかりません。無くなっていたのです。気が動転しがっかりしましながらもう帰ろうと思って駐車場のほうに向かいました。しかしその時まだ時間があると思い、私しかわからないのだからもう一度来た道を戻って探してみようと思いました。 (続く) |
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